楽に生きるブログ

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怒りとは防衛反応であると理解する

私は人の「怒り」という感情がいちばん苦手です。喜怒哀楽の中で怒が一番苦手です。キレられると萎縮してしまうし、誰かが怒られているところを見ているのも非常にストレスです。怒りに対する過剰とも言える反応は、おそらく幼児期か何かで起きたトラウマか何かが、認知を歪ませているのだと思います。また、そういった人も私以外にも沢山いるのではないかと思います。

 

この苦手意識を少しでも薄めるためには、「怒り」というのは、「防衛反応」であると理解することです。例えば飲食店や路上でタバコの煙を過剰とも言える反応で嫌悪感を示し、時には怒り始める人いますが、これは生きるための防衛反応が働いていると考えられます。

 

昨今のコロナウィルスの被害の影響もあるのか、それがますます顕著に現れるでしょう。「副流煙が肺に入り混んで、免疫力が下がり、コロナで死ぬ!?」と瞬時に無意識の思考し、「俺を殺す気か!?生き残らなければ!!!」と激情します。生きるためです。タバコの煙などはよく考えれば1メートルでも離れてしまえばほぼ無害なはずです。それよりも町中を走っている車の排気ガスの方が空気中の内容量は多いし何倍も危険でしょう。

 

それでも感情的になった人はそんなことは考えません。「やばい死ぬ死ぬ!」という短絡思考に陥っているため、深く思考することができなくなっているためです。人間の脳とはその程度なのです。

 

車の運転でもその傾向は現れます。「煽られた!?攻撃されている!生きねば!!」と短絡思考でブチギレます。生きるための本能です。ただその運転手の癖で車間距離が狭いだけかもしれないのに、そういった思考は働かなくなります。危ない死ぬかも!?という考えが一瞬でもチラついたらもうダメです。ユーチューブか何かで見た、交通事故動画を脳が一瞬で想起し、アドレナリンがドバーッとでます。

 

怒りというのは防衛反応です。自分の怒りという感情も、「ああ今俺は生きようと必死なんだな」と俯瞰して考えれば良い。別に強盗にナイフを突きつけられているわけでもないのですから。

 

相手の怒りもそういう風に考えれば、ああ暴走しちゃってるなぁと、気の毒であるなと思ってあげれば良い。そうすればだいぶ気が楽になるはずです。