社会性と自分のエゴを両立させるのが難しい。
自分を殺し、社会から求められる人物像を演じるのが良い方法なのだが、そんなことを永遠とやっていると自分が壊れて早死にしてしまう。では、自分のエゴを社会に押し付けると楽になれるのかというとそうではない。社会から問題児扱いされ、爪弾きにされて結局ストレスで死んでしまうだろう。死なないのは生粋のサイコパスくらいでしょう。
私にはこの境界線、程よい状態というのがわからない。社会人物像を演じるのは苦痛すぎてできないし、だからと言ってエゴイストになりきり、社会との軋轢を生みまくって生きるということもできそうにない。どっちにしろエネルギーが必要だし面倒なのだ。
中間が一番良い。程々にエゴを振りまき、社会順応をはたすのが一番良い。それがわからない。だから引きこもりなんぞをやっている。もう5年くらいまともに外出していない。学校なり仕事なりで決まった日程を決められると死にたくなる。「ああ明日も予定があるから早く寝ないと。明日は6時起きだぞ。」なんてことをやっていると頭がおかしくなってくる。
だからこういう生き方が一番あっているのかもしれない。読書なんかをしていると、他者の考え方、価値観、哲学がバンバン頭に入ってくるから、「俺、このままじゃダメなんじゃないか?」みたいな思考が生まれてくるが、今この状態がベストなのだと思う。人と関わることが苦痛だし、納期とか予定を決められるとアタオカになってくるから、そんなものはそもそもやらない。
読書も好きだし、文才ないけど文章を書くのはある程度好きだ。書くのが好きなの?じゃあ、本を出版しましょう、納期はいついつまでなのでヨロシク。なんて決められてしまうと、全部燃やしてぶん投げたくなるから本とかはできない。ブログをちょいちょい書いてるのが心地が良い。これで細々食えていけば良いと思っている。しかし「そうは問屋が下ろさないぜ!社会は厳しいぞ〜!」という内省が生まれて、ぶれてしまう。
厳しかろうがなんだろうが、これが限界なのだから仕方がない。と自分に言い聞かせて生きる。そんな感じね。