生きづらさの正体。共感の重要性、他者への興味
社会で生きていくことが難なくできる人間と、そうではない人間の二種類がいると思います。私は100%後者です。どこへ行ってもトラブルばかり起こすし、他人が敵対する魔法がかかっているのかな?というレベルで問題が発生します。
自分は自己愛性パーソナリティ障害なのでは?発達障害なのでは?と悩んできましたが、最近わかってきたことがあります。それは「社会性の欠如」です。別に難しい解釈など必要なく、単に自分以外の他人に対して興味が薄いという理解で大丈夫です。
例えば私の例を出すと、仕事の休憩時間に同僚の人が「昨日見たテレビで〜」と話しかけてきます。私は本当に誇張なしに心の底から興味がないので、その態度が滲み出ます。表情や仕草であったり、生返事を返してしまったりと、自分にそういう意図はないのに自然とそういう態度がでます。当然相手は打ち解けようと努力しているのに、冷たくあしらわれたと感じるため、なんだこの野郎!と憤慨します。
仕事中でも自分の仕事が終わるとさっさと帰ろうとします。「あれ?○○さんまだ仕事終わっていないな、手伝ってあげよう」というのがありません。終わっていないことに気づいた上で無視するというのは、ある種の攻撃でありまだ良い方です。私の場合は全く気づいていないし悪意がありません。
そのくせ、憤慨されたり攻撃されたりするとめちゃくちゃ過敏に反応します。他人には興味がないけど、自分のことには敏感だからです。
こういったことでうまく生きられていない人って案外多くいるのではないかと思います。要領が悪いというのもありますが、社会性が欠如していることが主なトラブルの原因ように感じます。
こんな態度ではとても社会で生きていけないし、山籠りでもして木の実を拾って食べる原始生活をする以外ありません。よりよく生きるためにはこの問題を克服しなければなりません。
と言っても私はこの問題を克服できているわけではないので、こうすれば治るよとう情報は持ち合わせていないのです。社会性に関係している脳内ホルモンであるオキシトシンが足りていないことやセロトニンが解決の鍵のようだということくらいです。じゃあどうすればその物質を脳味噌の中に出すんだよって話なのですが、全くわからない。
ただ言えるのは、他人に大して興味をもち、共感してあげるというプロセスが良好な人間関係を築き、生きづらさをある程度解消してくれるということだけです。