楽に生きるブログ

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タバコの値上げ。そろそろ金持ちの嗜好品になる

増税でタバコが10月1日以降値上げするなんて知りませんでした。今日はもう7日です。私は本当にニュースなどは一切見ないので、情報化社会なんて言われている現在ですら、知るのに一週間くらいラグがあります。

 

さて、タバコの値上げなのですが、大体一箱当たり50円の値上げだそうですね。以前ではまあワンコイン(500円)で買えていたものの、もう無理そう。一応URLを載せておきます

 

https://www.watch.impress.co.jp/docs/news/1268678.html#:~:text=JT%E3%81%AF%E3%80%8110%E6%9C%881,%E5%86%86%E3%81%AE%E5%80%A4%E4%B8%8A%E3%81%92%E3%82%92%E8%A1%8C%E3%81%AA%E3%81%86%E3%80%82

 

たった50円の値上げか。と思えるのならばまだ良いのですが、これからもっと値上げするのは疑う余地がありません。私はこれからタバコというのは、金持ちしか吸えない、金持ちのステータス誇示品になるのでは?と考えています。

 

1箱1000円くらいになったら、そういう潮流が生まれ流のではないでしょうか。まあそうなったからといって、どうなの?と言われれば別にどうでもないのですけど。

 

それよりも問題なのは、タバコが手に入りにくくなるということは、ニコチンでドーパミン(運動ホルモン)セロトニン(安心ホルモン)が出せなくなると言うことです。

 

「あ〜ダリィ〜〜」という時に一服するとちょっと動けるようになる。「なんかそわそわ落ち着かない」という時に一服すると安心する。というのはドーパミンセロトニンが出ているからです。

 

これを手軽に出せなくなるということは、危惧するべき状況です。「いやいや、普通に運動とかして、ドーパミンだしなよ」というのはごもっともです。そうするのが健康にもいい。

 

しかし、そんな面倒なことをしなくても出せるというのがタバコのメリットなのです。どう考えても面倒でしょう。運動するなんてだるすぎる。恋人とのスキンシップやエッチにしても、両ホルモンはでますが、これも面倒だと思います。

 

第一恋人がいない場合、作るのが一朝一夜にはいかない。特に男性の場合はデートに誘ってどこに行こうかうんちゃらなんちゃらやらなければならない。タバコであれば、ワンコインでスパスパすればある程度はホルモンが出ていたものを。

 

 

私たちはこの面倒な状況に適応していかなければいけません。対策を考えていきましょう。瞑想でもするのか、はたまた海外まで出張って他の葉っぱを吸うのか。今はまだベストな方法が思い浮かびません。

満足を知っておく。欲望は青天井である。

欲望というのは普通際限がありません。それが普通なのです。もしも「俺もう十分あるからお金あげる」というのがデフォルトであれば、資本主義は一瞬で崩壊します。

 

現時点まで長く比較的安定して資本主義経済が回っているということは、そういう人は少ししかいない。または全くいないということです。

 

人間はどれだけお金があっても、物があっても「足りる」とは感じません。どれだけ欲しい、欲しい!と渇望していたものでも、買って数ヶ月でそれがあるのが当たり前になり、また日常の「なんか足りない感じ」に戻ります。

 

これは人間関係でもそうです。「あの綺麗な女性と付き合えたら最高だ!彼女と付き合えるならもう何もいらない」と考えていても、いざ付き合ってみると「ん〜こんなもんか、まあ同じ人間だしな。」と冷めてしまいます。

 

人の欲には際限がなく、買いたいものはいくらでもあるし、いくらでも使えます。マンションよりタワーマンション、一軒家よりプール付き大豪邸、高級外車よりも超高級外車が欲しくなります。そこに終わりのない苦痛が生まれるのです。

 

だからこそ、悟りましょう。という話ではなく、本当に必要であるものを見極める必要があります。今現在、欲しい!欲しい!!と感じているものは本当に欲しいものなのか?ただストレスが溜まっていて、買い物で鬱屈を晴らしたいだけなのでは?と冷静になる必要があります。

 

場合によってはストレス自体を断ち切り、知恵を出し根本治療をする必要も生まれます。そのストレスがある限り、ほぼ確実に永続的な物欲が生まれるからです。

 

そういうもので日々を消耗し、せっかく得た金銭を、溜飲を下げるために散財してはもったいない。本当に自分が好きなことだけにお金を使い、できればその好きなこと自体を仕事にしてしまう。それが理想です。

 

ただ漠然と好きなことをしているだけではお金にはならないので、仕事としては成り立ちません。どうすればお金になるかな?(人の役に立つかな?)ということを念頭に入れながら、好きなことをします。

 

好きなことをしているのだから、余計なストレスはかからないし、溜飲を下げるよう無駄に消費していた癖もなくなります。好きを仕事にできて、ストレスも軽減される。一石二鳥の状態になるのです。

 

参考書籍

 

本をほぼ無限に読む方法

結論から言います。読んだ本は速攻メルカリかなんかに売り飛ばす。です。

 

まあ一回読んだ本はもう読まない人限定の方法ですけどね。しかも一回読んで出品、一回読んで出品となるので、非常に面倒です。出品して売れた後の発送も面倒です。

 

しかし部屋が狭い、余裕がない人などは一度読んだ本がたまりに溜まっていっても、邪魔になるだけなのではないでしょうか。

 

ブックオフでいいじゃん。みたいに思った方もいると思います。めちゃくちゃ安く買い叩かれるのでダメです。自分である程度の金額で売った方が、次に本を買う軍資金になりますので、そっちの方がいい。

 

次に売値なのですが、購入金額と同等、またはそれより少し下か上で出品します。

 

ブックオフで100円で買ったような本は、4〜500円で売ります。新品で買った本は同額かちょっと値下げして売ります。ほんの少しね。

 

「ええ、それじゃあ高くて買ってもらえない...」という心配もあるでしょう。その通りです。あんまり買ってくれません。

 

フリマ系はどれだけ安く買うか、という客層なので、あまり在庫が減っていきません。しかし読書家の皆さんは、どうせ部屋中本だらけだと思うので、大して変わらないでしょう。

 

売れたら売れたで「ラッキー」だし、気長に在庫(本)を寝かしておいてください。多少高くても、今すぐには売れないかもしれませんが、いつか売れます。

 

「どうしても本が邪魔だ!もう嫌だ!!」という事態を窮する場合は、古本屋にまとめて持っていくか、どこかに寄付するくらいしか思い浮かびません。

 

いかがだったでしょうか?(NAVER まとめ風)本を「ほぼ」無限にですので、購入金額全額回収するというのは難しい。メルカリだと10%は手数料で持っていかれて、送料もこっちもちなので、まあ無理ですね。

 

普通に売るよりはましで、部屋のスペースも空くってだけです。これで儲けるとなると、自分が古本屋にでもなるしかないですね。おしまい。

昼間から酒飲んでオーケーじゃん。

お酒は夜しか飲んではいけない?そんな決まりはありません。

 

いつ飲んだっていいんです。日本は法律で飲酒運転を禁じていますから、何かを運転している時以外は極論OK。白い目で見られるでしょうね。だからどうしたというのです

 

「俺は真昼間から飲みたいんだよぉ!」という気持ちの方が大事ではないですか。大体、アルコールというのは産業革命の時代、労働者が仕事中に飲むものだったのです。

 

その時代の労働者は大変忙しく、食事するような時間などありませんでした。そこで手っ取り早くカロリーを取ろうと、お酒をみんなで飲んでいたのです。まあ仕事にはなりませんね。後に禁止されます。

 

このように、ちょっと歴史を遡れば、仕事中にだって飲酒がOKだったのです。だったら昼間からの飲酒などかわいいものでしょう。

 

現在の効率至上主義、資本主義だからこそ、「アルコールでラリってないで、一件でも契約とってこいよ!」という価値観が世界を支配しているだけなのです。

 

飲みたければ飲めばいい。「しかし、周りから白い目で見られ、妻子にも見捨てられるでしょうね。それでもよかったらどうぞ。」という、そんなのわかり切ってんだよ!という話ではありません。

 

自分のしたいようにすれば良い。自由にすれば良いということです。日のでているうちから酒を飲んで、誰か死ぬんですか?法律に触れて、刑務所にぶち込まれるんですか?という話です。

 

昼間からガブガブ飲めば良いのです。」今頃みんな学校なり仕事なりできつそうな顔してるんだろうなぁ」と、想像しながら酔っ払えばいい。

 

「こんなに明るいうちから飲んだくれて、俺は...」なんて気持ちも酔えばなくなります。アルコールで快楽物質が脳内に出ちゃえば大抵のことはどうでも良くなるんです。

 

大体、人生に大それてやらなければいけないことなどないのです。そう思い込まされているだけで、究極、なんで生きているのかと言ったら、「生まれてきちゃったから」というシンプルなものです。

 

酒を飲みたければ飲めばいいし、「いや、酔っ払っている場合じゃないぞ。これをやらないと。」と思うなら、酒は控えてやるのがいい。

 

どっちでも許される。どっちにしろ良い。

他人に期待しない。

他人に期待をすると録でもないことがおきます。私怨ではありません。

 

例えば、部下に仕事を任せた、奥さんに家事を頼んだ、友達にお使いを頼んだ。こういう時に、ちょっとした手違いでもあると「なんで言った通りにしないんだ!」となります。被害者意識が生まれます。

 

最初から「まあちょっとくらいは失敗するだろうな」という気持ちでいれば、どうしてやってくれないのかという不満が生まれません。結果心は平穏でいられるのです。

 

第一人は失敗するし、完璧ではありません。あなたの都合だけを考えて生きているわけではないので、比較的に疎かになるでしょう。ミスする確率が私事よりも高くなりがちです。

 

それなのに「やってくれるだろう」という信頼をしてしまうと、心にストレスがかかります。時には言い合いや喧嘩に発展する火種にもなりかねません。

 

だからこそ、最初から期待はしない。「まー無理だろうな」という気持ちでいけば、言った通りになった場合も喜びが生まれます。「無理だと思ってたのにやってくれた!?」となるわけです。

 

だから他人には期待しない方が良いのです。反対に「いいや、俺は人を信じる!!」みたいなアニメの主人公の様な態度も悪くはないと思います。人それぞれですからね。

他人はどうでも良い

引きこもり、神経症、対人恐怖症などのトラブルを抱えている人は、とにかく「他人」というものを重要視してしまいます。それこそ神経がイカれるくらい過剰に意識してしまう。

 

ですが、そこまで考える必要があるのでしょうか?たかが他人なのです。家族でも友人でも恋人でもない他人を、そこまで重要に考える必要は一切ない。

 

「変に思われたかな?」「失礼なことをしてしまったかな?」

 

そんなことは正直どうでも良い。そんなことを憂うのはブドウ糖の無駄なのです。他人は他人の都合で動いていますし、「今日晩ご飯焼肉食おうかな」「洗濯物畳んでないわ」「彼女とエッチしたいな」くらいしか多分考えていない。

 

人間は他人のことなどどうでも良いと考えているのです。あなたのことなどより、家の住宅ローンのことしか考えていないのです。

 

立ち振る舞いが変だとか、慣れてないなと思われてもどうでもいい。3秒後には忘れられています。そんなに覚えているはずがない。

 

万が一ネチネチついてく人がいたら、その人はおそらく精神病です。「ああ気の毒にね。トラウマで脳が破壊されているのかな?」くらいに思えば良い。そんな人間のことを考える時間やカロリーが無駄です。精神科医か警察に任せておけばいい。

 

褒めてくる人も貶してくる人も、どうでも良いのです。どうせ他人なのだから。「わ〜すごいですね!」なんて言ってくる人だって、明日にはそのこと忘れています。

 

どうでも良いことの連続です。本当は全てどうでもいい。必要以上に考えすぎることはないんです。

 

「あいつ今俺のこと見て笑った!?」なんて考えなくていい。見間違えかもしれないし、顔の筋肉がバグっていただけかもしれない。笑ったかもしれないし笑ってないかもしえない。

 

どっちでもいいし、意味はないんです。

 

全てをゲームのように楽しむ

全てをゲームのように楽しめるようになれば、大体のことは苦痛に感じなくなります。自分の態度、認識の仕方を変えるだけで全てを楽しめるようになります。

 

要は考え方次第なのです。例えを出すのならば、仕事でパワーハラスメントを受けていた場合も、楽しめるようになります。

 

パワハラなんて受けて楽しめないぞ!」と反射的に考えてしまうでしょう。それがトラウマになっている方は顕著だと思います。でも楽しめるのです。

 

「どうやって訴訟起こしてやろうかな?証拠は決定的な方がいいから動画で何処かから隠し撮りでもしようか。仲の良い同僚に小型カメラを渡しておこうかな。裁判負けたら○○さん困るだろうなぁかわいそうだなぁ」

 

こんなふうに訴訟ゲームを遊べばよいのです。

 

「そんな!なんかモラルに反してる感じがする!!」とアレルギー反応を感じるのであれば、「会社をやめて一ヶ月間、働かないでびた一文使わずに生きるゲーム」とかはどうでしょうか。パワハラを受けている環境から抜け出せるし、大のオトナがこんなことしないでしょう。家出した十代の子供でもあるまいし。

 

でもだから楽しめるのです。「とりあえず彼女の家に泊まろうかな?頼み込めばご飯だって食わせてくれそうだ。土下座とかって映画とかでよく見るけど、効くのかなぁ?友達の家に転がり込むとかも面白いな。」そうやって自分が楽しいように、遊べるようにすれば良い。

 

大抵のことは遊べます。アウシュビッツ収容所とかに入れられたらわかりませんけど。逆に言えばそれ以下であれば考え方次第で楽しくなるってことです。自分は修行僧なのだ。みたいな投影をしているのであれば別いにいいんですけど。

 

苦しくない方がいいでしょう。

 

まあ、そういう考えかたもあるよってだけなので、マジになったりしないでください。

 

 

ブログで30記事くらい書いたアクセス数

2。w

 

初めてまだ14日しか経ってないのだが、少なすぎる。シラフだとショックで寝込むところだった。はてなブログくんバグってるのか?それとも、私のエゴをぶちまけている記事がいけないのか?読者視点にたたなすぎか?どうでも良いのだ。

 

なんか面倒だしやりたくないから、画像も挟まないし、太文字にするとかよくわかならないのでやらない。その怠惰な、傲慢な結果がアクセス数2回という罰なのかもしれない。もっと、読者の視点に立ちなさいよという神様のお告げだ。

 

これは深く深く、猛省するしかない。「私は他者の心を慮らない、罪深い男です。これからは、人を愛し、他者の視点を考慮することを誓います。」と神様に誓わなければいけない。これからは善行を積み、皆様の、お客様のお役に立てるような、有意義な記事を書くように邁進せねばならない。私はそうすると誓います。

 

 

大嘘です。俺はこの魑魅魍魎の混沌としたWEB大海にエゴまみれの記事をぶちまけるぞ。SEO対策?なんだよそれ、よくわかんないからやらないぞ。いくぞ!いけほら!日本語も所々おかしいけどぶっ込んでやる。WEBはごみまみれだから問題ないんだ。全ては許されている。ほらいくぞ。

アル中で行くぜ。生きていくぜ。

私は、なんか調子悪いな〜というときに酒を飲みます。調子いいな〜という時でも飲みます。いつでも飲むのです。

 

調子が悪い時に飲むと、ドーパミンが出て、大抵のことはどうでも良くなります。

調子がいい時に飲むと、やはりドーパミンが出てもっと調子が良くなります。

 

タバコもお酒も一通り嗜みましたが酒だけはやめられない。タバコなんてなくてもなんとも思いません。ああないんだしょうがないね。で終わりですが、アルコールとなるとそうならない。普段重度の引きこもりの私でも、酒が切れるとコンビニに買いに行くほどです。(普段ならコンビニにすら行かない)

 

お酒は最高です。私はウィスキーが大好物ですが、あなたはどうですか。日本酒、ウォッカ、マッコリ、焼酎、まあ色々あるでしょう。ソムリエでもなんでもないのでジャンルには詳しくないですが。全部良いですね。それぞれに味や風味、酩酊感やコストパフォーマンスが違うでしょう。全部良い。

 

あえて酒の悪いところを挙げるとすると、自制の効かない人は意味不明なことをして社会的に罰せられてしまうことです。ベロベロに酔っていて、目の前に裸の女性が居ても知らんぷりできるようではないと、ちょっと危ない。人の悪口が癖になっている人も、誰かと一緒に飲んでいると、幻滅されてしまうでしょう。

 

カロリーが高いのもデメリットの一つです。一時期は、ウィスキーのボトルを二日に一回は空にしていたので、お酒だけでめちゃくちゃ太りました。糖質制限とか意味を無さないです。これくらい飲んでいると速攻で太る。

 

お腹の調子が悪くなるのも嫌なところですね。飲み過ぎると胃がキリキリして冷や汗がでます。そういう時は一定期間合間を開けて、休ませよう。肝臓も壊れて病院送りになるかもしれませんしね。

 

酒は、社会的リスク、カロリー、胃痛を除けばほぼ完璧?です。酒は百薬の長!早死にするぞ!多分寿命も減るし、どうしようもないろくでなしになるけど全部OK!行くぜ!生きていくぜ。

 

多分これが一番コスパがいい。味はまあ、値段相応です。酔えれば全部OK

どうしても昼夜逆転してしまう。

引きこもってると確実に昼夜逆転します。朝日を浴びた方がセロトニンが出る。つまり精神的な安定感が増すということです。そういう情報を知っていても昼夜逆転は直せない。それだけの魔力があります。それで具体的になんで抜け出せないのかな〜って考えた時に出たのが、「静かで居心地がいいから」という結論です。

 

日中は何かとうるさい。車の走行音であったり、近所の子供がうぎゃー!と叫んだり、老人の家からテレビの爆音が漏れてきたりする。まあこの辺は個人の住宅状況によって異なると思いますが、「静かである」という点では同意してくれると思います。

 

以前何かの本で読んだのですが、引きこもりが昼夜逆転してしまうのは「罪悪感から」というものでした。両親に申し訳がない、日中はみんな学校なり仕事なりをしているのに自分だけ何もしていなくて申し訳ない。だから日が出ているうちは寝てしまって、みんなが寝静まった夜に活動するというものです。

 

これはまあ、そういう風にも捉えられるかな〜というレベルです。いや、潜在的な心理部分ではそういう罪悪感がチラつくから、夜は居心地がいいのかも?なんて思ったりもします。何かと居心地がいいんですよね。夜は。

 

だから抜け出せない。別に予定がないから抜け出す必要がない。改めてこんな風に生きられるのは幸福であるなと実感します。お金に自由はないけど、時間は自由である。これで少しでもお金が稼げて、似たような境遇の気の合う恋人でもいたらもっと最高でしょう。おそらく破滅的な恋愛にはなるが、どっち道何かを作っていこう、という建設的な態度の人生ではないので別に良いのです。

 

社会復帰して、ちゃんと学校も卒業して、手に職をつけて、35年ローンで家を立て、結婚しておじいちゃんになり、孫にお年玉をあげるような人生は望んでいない。社会からドロップアウトしちゃったようは私と似たような人間はそんな風に考えるのではないでしょうか。もう諦めちゃってる。「もし○○だったら自分だってなりたいのに...」とすら思わない。諦念を身に付けてしまっている。

 

それでいいと思います。自分なりにできることやったらもう終わりです。これからも昼夜逆転で生きていいのだ。

 

 

社会性と自分のエゴを両立させるのが難しい。

自分を殺し、社会から求められる人物像を演じるのが良い方法なのだが、そんなことを永遠とやっていると自分が壊れて早死にしてしまう。では、自分のエゴを社会に押し付けると楽になれるのかというとそうではない。社会から問題児扱いされ、爪弾きにされて結局ストレスで死んでしまうだろう。死なないのは生粋のサイコパスくらいでしょう。

 

私にはこの境界線、程よい状態というのがわからない。社会人物像を演じるのは苦痛すぎてできないし、だからと言ってエゴイストになりきり、社会との軋轢を生みまくって生きるということもできそうにない。どっちにしろエネルギーが必要だし面倒なのだ。

 

中間が一番良い。程々にエゴを振りまき、社会順応をはたすのが一番良い。それがわからない。だから引きこもりなんぞをやっている。もう5年くらいまともに外出していない。学校なり仕事なりで決まった日程を決められると死にたくなる。「ああ明日も予定があるから早く寝ないと。明日は6時起きだぞ。」なんてことをやっていると頭がおかしくなってくる。

 

だからこういう生き方が一番あっているのかもしれない。読書なんかをしていると、他者の考え方、価値観、哲学がバンバン頭に入ってくるから、「俺、このままじゃダメなんじゃないか?」みたいな思考が生まれてくるが、今この状態がベストなのだと思う。人と関わることが苦痛だし、納期とか予定を決められるとアタオカになってくるから、そんなものはそもそもやらない。

 

読書も好きだし、文才ないけど文章を書くのはある程度好きだ。書くのが好きなの?じゃあ、本を出版しましょう、納期はいついつまでなのでヨロシク。なんて決められてしまうと、全部燃やしてぶん投げたくなるから本とかはできない。ブログをちょいちょい書いてるのが心地が良い。これで細々食えていけば良いと思っている。しかし「そうは問屋が下ろさないぜ!社会は厳しいぞ〜!」という内省が生まれて、ぶれてしまう。

 

厳しかろうがなんだろうが、これが限界なのだから仕方がない。と自分に言い聞かせて生きる。そんな感じね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お金儲けに罪悪感を覚える脳、金運なき貧乏脳〜」多分感想

書籍の正式なタイトルは「お金儲けに罪悪感を覚える脳、金運なき貧乏脳、金持ちへ加速していく脳」というタイトルです。岩波英知さんという方が書いています。元々アマゾンで対人恐怖症の本を探していて当たった本なのですが、なんだかぶっ飛んでいる内容で面白い。それを実際に実行して、対人恐怖治せるのか?お金持ちになれるんですか?と言うとわからない。多分なれるかもしれない。

 

岩波英知さんの本で共通しているのは、とにかく「行動」です。対人恐怖症で人の目線が気になる。でも外でなきゃ変わらないぞ、考えててもどうにもならないぞ、という根も葉もないことが書いてあります。そりゃあね。できるに越したことはないのだが。

 

お金持ちになるという観点でも内容は一緒。「行動」してください。につきます。私は引き寄せの法則なんかをなまじ勉強してしまったものですから、行動しなくてもいんじゃねーみたいな態度があります。願うだけで、何もしなくてもどうにかなるんじゃないかという態度です。実際今のところ変化がないので、やはり自ら動くしかないのでしょう。

 

なんと面倒なのだ。「面倒だなぁ嫌だなぁ」という思考プロセスすら無駄だから、怖くてもいやでも狂って動け!という本なので、私のようにぬるい生き方をしていると、脳味噌にストレスがかかります。認知不協和で疲れる。

 

「え、やっぱり動かないとダメなのか?あ〜↓」という悩み状態になってしまいます。比較的今日は元気だなという日に読むと成長できるかもしれない。私は読んでいて疲れてしまった。

 

筋トレしてもメンタルは何にも変わらない

ずっーと前に、テストステロンという方が書いた、「筋トレが最強のソリュージョンである」という本を読んだのを思い出しまして、まあ内容はというと、筋トレすると全部が解決するよ。という筋肉信仰本なのですが、全然解決していないし、変わってないなーという話です。

 

別に男性ホルモン増えて積極的になってもいないし、雄々しくもなっていない。体は大きくなっても心はちんけなままなのです。小さいトラブルでパニクるし、甲斐性のかの字もない。そんな自分をもはや受け入れてしまった境地なのですが、そういう話ではなく、筋トレしても精神面はあんまり変わりません。

 

自分を受け入れたというのも、一種の諦観ですので、筋トレは関係ありません。「まあしょうがねえじゃん。そう生まれちゃったんだから。」という考え方は読書を通じて体得しました。向上心がなくなる代わりに、自己受容をして楽になれます。だからと言って筋トレなんかしても意味ないというわけでもないのです。まあ娯楽としてやるのが良い。

 

「筋トレで変わるぞ!俺は生まれ変わるぞ!!」という動機では変化の無さに落胆してしまうだけで、ちょっと体動かしたいな。とか体が大きくなったらかっこいいかな〜という軽い動機ならば楽しめます。プロテイン代とか器具だったりジム代だったりお金がかかってしまうんですけれどね。

 

まあ何が言いたいのかというと、筋トレ万能論は違いますよ。ということです。別にモテたりもしないしね。金運アップとかにカコつける人もいるのかな?筋トレ界隈なんてよく知らないんですけど。自己啓発人気ありますからね。自分を変えたいというか、変えなきゃ!?という強迫観念はお金になるんでしょう。

 

こういうこと考えていると、今のままではダメですよ〜変わらなきゃ危ないですよ〜という不安を煽っているメディアが諸悪の根源なのかな?考えてもしょうがないんですけどね。

 

 

 

 

 

 

「雑草で酔う」あんまり酔えない

青井硝子さんの著書「雑草で酔う人よりストレスがたまりがちな僕が研究した究極のストレス解消法」という本を読みました。なんだかハイになりたい気分だったからです。麻薬とかそういうのは違法だし、依存して廃人になっちゃうのは困るけど、雑草で気分良くなるくらいならいっかという動機です。

 

本書の内容なのですが、何十種類かのハーブや植物を吸った後の五感の変化を見やすくまとめて書いてあります。吸うとリラックスする〜味はこうで〜聴覚が敏感になって〜という感じです。所々にヤバそうな記述があり、うわ〜これは真似できないな。という物もありました。実際にあんまりやばくなさそうなスイレンを私も吸ってみたのですが、いまいちよくわからない。スイレン(ハス)を吸うと多幸感を感じるようなのですが、何も感じない。吸い方が悪いのか?ちなみに私のやり方は、パイプタバコに「ハスの実の芯」を詰めて炙って吸いました。

 

火で炙っちゃいけないのか?まだ脳が多幸感を感じるまで練習が必要なのか?という疑問が残っています。多分個人差があるのでしょうね。私は普通にタバコを吸った方が、ドーパミンセロトニンも出ていい感じになります。これはあくまで我流になりますが、カフェインとニコチンを一緒に摂取すると気分が高揚してやる気が出ます。(短時間)そのあとはぐったりします。

 

また、本書にはコラムを合間に挟んでおり、そっちの方が参考になったというか、面白いなと感じました。特に「複視点者」「単視点者」という考え方が参考になる。複視点者というのは、なんでも卒なくこなせて社会順応できる、いわゆる健常者という意味で、単視点者というのは、ある一点に集中して他のことができなくなるような発達障害的な人間を指しています。

 

そして著者の青井硝子さんは単視点者のようで、そういう人間がどう生き残っていくのか?というのを論じています。私も単視点者なので参考になりました。「あれ?なんか自分てグレーゾーンぽい?」という曖昧な方でも参考になると思います。しかし参考になるというだけで、できるとは限りません。小屋を建てて住むとか、軽トラ改造してそこに住んじゃうとか、使う前にちょっと心構えが必要な薬とか、難易度が高い。

 

まあ、難しいなと思ったのならば、やらなければいいだけなのですけれどね。気楽に生きましょう。

 

ブログで食べたいなという話

最近、アマゾンアソシエイトという紹介報酬を発生させて、収益を得るアフィリエイトに登録しました。ブロガーなんかがよくやってるイメージのあれです。しかしいざ参加するとなるとめちゃくちゃ緊張します。別に面接なんかあるわけじゃないし、WEBで申し込むだけなのですが、緊張する。プログラムに参加し終わったあとは、10時間くらい寝てしまい、気付いたら朝でした。メンタルが弱すぎる。まあそんなもんか。

 

しかも180日いないに三つの成約を作らないと、プログラム参加権を剥奪される?ようなので気が休まらない。自分にはできるのか!?という心境です。しかし私が一日でやる事といえば、読書して飽きたらちょっろっとゲームして、疲れたら寝るという生活なので、ちょっと最近マンネリ化してきたなぁというところですから、ブログを書くというのは新鮮で今のところ苦痛ではない。だからまあやろうかな?という感じです。

 

それに、収入ができて、1年間で100万円でも稼げれば満足です。社会的に見ると年収100万円と言うのは落ちこぼれのような印象でしょうが、万年無収入でしたので私からしたら御の字なのです。というかそんなに稼ぐことが可能なのか?それはわからない...

 

とにかく、「お仕事は何をされているんですか?」と聞かれて「○○をしています!」と答えられるようになりたい。お仕事は〜と聞かれるとビクッとなります。やべえことになった!と焦ります。そうならなくなるだけでもメリットがでかい。「俺は無職だぞ!それがどうしたかかってこい!!」という強いメンタルもないし、何かしらの役割を作った方が早い。そんなに強い精神力があれば、普通に働きますしね。

 

私は本当のところ、仕事が大好きです!という女性のひもになりたいのですが、難しい。ブログで年収100万円稼ぐのと、紐になるのでは、100万稼ぐ方が多分難易度が低い。フェミニストが男女平等を謳っていますが、まだまだまだまだ全然実現していない。これからなるんでしょうかね?それはそれで良い。私のような消極的な男性は生きやすくなるでしょう。仕事して生きるか、仕事して生きるかの二択しかないのは生きにくい。もっと自由になれると良い。

 

まあそんな感じです。何を書きたいのかわからなくなったので終了。

あと最近読んだ中で一番よかった本です。よかったら見てね